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寺まち熱田"熱田百ケ寺"
/Atsuta Hyakkaji(hundreds of shrines)

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<写真>青大悲寺:名古屋弁のお経や鉄地蔵で有名

【寺まち熱田】

 「犬も歩けば寺に当たる」と言われるほど、熱田には寺が多い。昔は俗に”熱田百ヶ寺”とも言われていました。
 あつたっ子編集部は2007年3月あつたっ子にて特集【寺まち熱田】を取り上げ、ほとんど死語だった”熱田百ヶ寺”を紹介しました。
 2005年の「宗教年鑑」によれば、愛知県のお寺の数が4844で、ダントツで日本一。
2位が大阪で3402、3位が兵庫の3319。寺の町、京都は5位の3102なんだそうです。
元々土地が肥沃だった濃尾平野は経済力が大きく、豊作祈願の神社も多いので、神社・寺院の合計も天晴れ!日本一!
そして、尾張藩の仏教振興策も手伝って、寺院が増えたと言われています。
 熱田区のお寺の数は1978年当時で90程ありました。ざっと愛知県全体の1/57が熱田区に集中していたことになります。
ところがその後、残念なことに少しずつ減ってきているのが現状で、今後も減り続けるだろうと予想されています。
 そんな状況を記録として残す為、2007年4月から、あつたっ子編集部は再調査を開始。
再調査時、現在の写真や解説付きの一覧表にまとめてみました。
さて、どれくらいのお寺が自分の近くにあるか、あなたはご存知ですか?

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<写真>雲心寺:本尊の阿弥陀如来は名古屋三大仏の1つ

【特徴もあるお寺も多い】

蓬莱伝説に由来している山号持つお寺の数々、名古屋弁のお経や鉄地蔵で有名な青大悲寺、 たぬき伝説の本遠寺、名古屋三大仏の雲心寺、源頼朝が産湯をつかったとされる誓願寺、足利尊氏や亀石伝説の円福寺などなど、 熱田には伝説や話題になるお寺がたくさんあります。

【熱田のお寺:一覧表】

熱田の百ケ寺の一覧表はこちら / more

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熱田『蓬莱伝説』/Legend of Horai

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熱田は蓬莱の仙境であり、巨大な亀の甲羅の上にある

熱田の地は古来から「蓬莱島」と呼ばれています。
その由来は、波静かな年魚市潟(あゆちがた)に面し、老松古杉の生い茂る熱田の杜が、海に突き出る岬のように見える事から、不老不死の神仙の住む蓬莱島(中国の伝説)に擬せられたからであろうといわれています。
熱田を蓬莱島とたとえるなら、その地底には巨大な亀が横たわっている筈です。
金色の亀の背に大宮が建てられ、首の部分に八剣宮が、頭の部分に上知我麻(かみちかま)神社が、尾の部分に高座結御子(たかくらむすびみこ)神社が建てられ熱田宮を蓬莱島と呼ぶと「熱田宮秘釋見聞」に記されています。熱田の古いお寺の山号に亀がつくのはこのためです。

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【熱田蓬莱伝説と楊貴妃】

なぜか昔から、熱田の蓬莱伝説を語れば、この世界三大美女の楊貴妃の名前が出てきます。古くから熱田の地は中国でいう不老不死の島「蓬莱島」とされてきました。こうした伝説は鎌倉時代から書物に記されています。
 この伝説は中国の唐の時代に遡ります。中国の玄宗皇帝は野心いっぱいの人物で、東の海上にある日本を侵略する隙をうかがっていました。
この話をいち早く察知した。日本の神々は、一堂に集まり、作戦を練りました。
 その結果、熱田大明神が絶世の美女に変身して、玄宗に近づきその美貌で皇帝をたぶらかすという作戦でした。  最初はうまく行っていたのですが、やがて、それもばれてしまい熱田に逃げ帰って来たという話です。
この蓬莱伝説は日本全国にありますが、鎌倉時代以前に遡れるのは、熱田、富士山、三重県熊野市の3箇所です。富士山の蓬莱伝説には、何とあのかぐや姫が登場します。どちらの女性も美しさで男性を翻弄した事は皆さんもご存知ですよね。
さて、この熱田に楊貴妃のお墓(五輪塔)が存在したと言われています。 熱田神宮内の清水社のあたりに、明治の初めごろまで残されていたそうです。

■蓬莱伝説にちなんだ熱田のお店■

☆熱田蓬莱軒(ひつまぶし)
☆熱田の銘菓亀屋芳広(不老柿)

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熱田神宮探検隊-「不開門」あかずのもん /Tips about Atsuta

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みなさんご存知でしたか。熱田神宮の旧参道が通れるようになりました。
いままで柵があったため、近くで見ることができなかった、古い門が側で見れるようになったのです。その門は、その昔〔668年〕熱田神宮の神剣の草薙の剣が盗難に合った時に、盗人が本宮の北門であった清雪門を通って逃げたといわれ、以来この門は不吉の門として忌まれ、「不開門」とよばれて来ました。
その盗人は新羅の僧道行で新羅に渡ろうとしたが、暴風雨にあってはたせなかったのです。
とりもどされた剣は宮中に保管されていたのか、天武天皇の病を卜ってみたところ、草薙の剣のたたりとでたので、熱田の社に返された〔686年〕と日本書紀にあります。
その時からの神事が奇祭で有名な「酔笑神事えようどしんじ」 です。剣が返ったのを喜び、社人が酔って笑って、歩きまわったと、その姿そのものが祭りになったものだそうです。
一名「おほほ祭」といい、毎年5月4日の夜におこなわれています。
そして第2回目の事件は道行の事件から1170年後におきました。〔1839年〕
  正月19日妖僧が八剣宮から神剣を盗み出しましたが神威霊応あって翌朝本殿にもどったそうです。これらの不思議なお話はなんでしょうか。
また地元のおじいちゃまに聞いたお話では、壇ノ浦での源平の戦いで、安徳天皇と剣は海に沈んだところを、剣は拾い上げられたのだと。また明治時代にも宮中に一時置かれていたらしいとのことでした。ロマンと伝説とが交差している熱田です。 

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