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2017年の日程
2017.4.6 UP
今年の堀川まつりは、2日開催となります。
大山の曳き廻しは2日目になります。
内容についての変更は随時更新する予定です。
当日の天候などにより変更になる場合もあります。

5月28日(日)御葦刈取り(堀川 川開き)・安全祈願祭
10:00頃 御葦刈取り神事:稚児宮人道橋(北区)
15:00頃 安全祈願祭/御葦・お守りお祓い:洲崎神社(中区)

6月3日(土)まきわら船 曳き廻し
13:00頃 御葦流し
14:00頃 ステージ・太鼓演奏開始(宮の渡し公園)
18:00頃 大治太鼓演奏(宮の渡し公園)
19:00頃 まきわら船点灯(宮の渡し公園)
     まきわら船曳き廻し(宮の渡し周辺~紀左衛門橋)
20:10頃 小まきわら山車・提灯行列・迎え太鼓
20:20頃 献灯会
20:30頃 終了

最後の献灯会で1年の無病息災や堀川浄化などを願って提灯が振られます。

6月4日(日)大山 曳き廻し
12:00頃 大山 曳き出し(宮の渡し公園駐車場)
14:00頃 大山 曳き納め(宮の渡し公園駐車場)
     紙芝居・菓子まき
 

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堀川まつりの記録 / History of Horikawa Festival

~堀川まつり(熱田天王祭)は神輿から始まった~

1990 /平成2年 熱田天王祭実行委員会設立/熱田天王祭の名称で始まる
まきわら神輿(豊田本町)を乗せたまきわら船浮かべる
みよし流し行事始まる
1991 /平成3年 まきわら太鼓参加/まきわら神輿(豊郷町)参加
1992 /平成4年 まきわら船曳き廻し始まる
熱田こども祭りが笹船で参加
1993 /平成5年 獅子舞参加/太鼓連参加/屋形船参加
1994 /平成6年 まきわら女神輿(豊田本町)参加
1995 /平成7年 中まきわら船登場/大治太鼓保存会参加
名称を熱田天王祭(堀川まつり)に変更/武者行事参加
1996 /平成8年 会の名称を堀川まつり実行委員会に変更
祭りの名称を堀川まつり(熱田天王祭)に変更
1997 /平成9年 まきわら船が始めて上流に遡る/安全祈願祭始まる(洲崎神社)
1998 /平成10年 名古屋工学院専門学校参加/剣舞参加
1999 /平成11年
2000 /平成12年 星崎:本地まつりの雷車参加/山車曳き回し始まる
2001 /平成13年 祭り船巡航始まる(五条橋まで)/円頓寺商店街の交流始まる
2002 /平成14年 みよし刈り取り神事/みよし流し神事始まる
黒川ドリーム会との交流
2003 /平成15年 名称を堀川まつりに変更
2004 /平成16年 堀川まつり実行委員会とあつたっ子が合併し、
NPO法人 堀川まちネットとして設立総会開催
2005 /平成17年 NPO法人 堀川まちネット認証/大まきわら船復活
名古屋港まで曳き回し/開催日7月に変更
2006 /平成18年 大山イメージ櫓試作/水掛祭り始まる
2007 /平成19年 大山イメージ櫓の試し曳き
2008 /平成20年 7月開催最後の年
2009 /平成21年 堀川まつり20周年:大山の試し曳き
開催日6月に戻る
2010 /平成22年 2010 年名古屋城築城/堀川開削400年記念行事 大山道路引廻し
★ 水掛け祭り
2013 /平成25年 土日開催になる

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堀川まつりの歴史

 まきわら船の起源は“津島天王祭”。さらに歴史をたどると“京都祇園祭”がルーツだと言われています。 堀川沿いには洲崎の天王祭、熱田の天王祭が伝わりました。

 まずは上流部、洲崎の天王祭のまきわら船。
尾張徳川家6代藩主宗春のときに最盛期を迎え江戸の2大天王祭りの1つになりましたが、その後、橋の数の増加と明治になり尾張藩千賀水軍の衰 退により船が動かなくなり明治21年に中止になりました。

 そして下流部の熱田の天王祭は大山。
 平安中期(1004)頃熱田に疫病が流行し、人々は旗鉾をもって洲崎神社、南新宮天王社に疫神を奉ったのが熱田の南新宮天王祭の始りです。
 熱田の天王祭は室町中期(1469年)頃祇園祭の影響もあり傘鉾型の山車が参加し、祇園まつりと同じの山車祭りへと発展ました。
<洲崎天王祭のまきわら船>



 その後熱田の山車は序々に高くなり江戸中期(1754頃にはすでに田中山、大瀬子山などは20m程の高さの日本一の大山になっていました。
 祭例日は祇園祭(7月中旬~下旬)と同時期に行なわれており、大山や車楽が町中を引廻しされていました。
 熱田 南新宮天王祭は明治になり、市内に電線が架けられるようになり、身動きがとれなくなってきました。
 また、南新宮社も明治4年以降に熱田神宮の内にまとめられ、祭例日も尚武祭(6月21日)に統一されました。
 明治40年頃天王祭の継続が難しくなったため、熱田浜の人々は大山に替わるものとして、同じ祭神のまきわら船を津島に勉強に行きました。


 そして明治43年(1910) 尚武祭のまきわら船を完成させたのです。
 戦争での中断をはさみ、戦後祭例日も熱田まつり(6月5日)に変更になり続けられました。
 昭和50年(1975)資金及諸事情のためまきわら船は中止されました。
 現在は熱田神宮内で熱田まつりの献灯まきわらとして続けられています。
 平成2年(1990)市民グル-プにより、ミニサイズではありますが、堀川まつり(熱田天王祭)のまきわら船として復活され、6月の第1土 曜日に堀川流域で行われました。
 平成9年からまきわら船は、洲崎神社まで遡るようになり、洲崎と熱田をつなぐ役割を担っています。



 平成17年市民グループはNPO法人化され、念願の大まきわら船が復活。
 開催日も津島天王まつりと同時期の7月最終土曜日に変更され、新たに水掛祭りや、大山イメージ櫓も復活の試みが追加され、まきわら船と大山 が融合した、若者達の参加しやすい祭りへと変身しようとしている。

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祭とまちづくり研究報告

~堀川まちネット理事長:川口正秀 2002.4.8~

 古来、中国の思想では”陰陽学”により全ての物事は陰と陽で成り立っていると言われています。或いは”昼と夜”又は”光と影”等とも言われ 表裏一体で扱われることが多いようです。 日本においても”晴れと褻(ハレとケ)”という言葉があります。この”ハレとケ”を祭とまちづくりに当てはめて、これまでの活動を通じて考察 してみました。言い換えれば、ハレは祭(晴れ舞台)、ケはまちづくり(日常の暮し)として考え、”祭とまちづくりの三要素”を導き出したもの です。 これが皆様の祭とまちづくりの参考になれば幸いです。

    

★ 陽(ハレ)祭の三要素 :【静】【動】【華】(せい・どう・か)

【静】: 歴史・文化・習慣などを祈りや儀式として静々と伝えること   <町には歴史が有る> 町の成り立ちには歴史、文化、地形、気候風土があり、その事を先祖代々の住民達は、静々と受け継いできました。 過去の風水害、地震、火山噴火も含めて後世に知らせ、伝えてゆく努力が必要です。歴史書などでは理解し辛いので、祭などにより楽しく自然に理 解できる様に工夫すれば、子供達にも歴史を伝え、地域に愛着を持たせる事ができます。

   

【動】: 競いながら激しく動き、若者達のエネルギーの発散させること   <若い世代と楽しく暮らせる町に> 現代の社会は、個人主義(利己主義と勘違いしている人もいます)が常識になり、他人との接触が少なくなり、何もしなければ、世代の感覚の差は 広がるばかりです。いつの世も、若い世代はエネルギーを発散する場所を常に求めているのです。1年に1度でも良いから、若者のエネルギーと大 人達の知恵と経験を融合した祭があれば、老若男女、祭を通じての一体感を経験し、未来の後継者が育つ土壌が出来上がります。町ですれ違う若者 達と自然と挨拶を交わすように・・・なんて素敵なことでしょう。    

【華】: 1年に1度クライマックス(最高潮)があり、祭の華(頂点)を極めること   <人生に1度は晴れ舞台の主役に> 人は誰でも晴れの舞台に立ってみたいものです。晴れの舞台に立てる人は日頃の実績、行い、人柄によって選ばれた事が証明された人です。家族 や、廻りの人から一目置かれ、子供の目から見て憧れの存在であれば最高です。ハレ(祭り)の日に華を持てる人は40~50代が最適だと思われ ます。若者の感覚も理解でき、長老達との調整もできる年代だからです。言い換えれば40~50代の人達が意義を持てるような仕組みと理解が必 要です。ただし、できるだけ多くの人達で町を支える為に1年~2年での交代も考慮します。

   

★ 陰(ケ)まちづくりの三要素 :【和】【工】【継】(わ・こう・けい)

【和】: 他町、参加者、各世代との和を保ち調和を生み出すこと   <和をもって尊しとなす> 聖徳太子が憲法17条でうたい上げているように、1番大切であるにもかかわらず、なかなか上手く行かない事でもあります。私達は年齢や活動と 共に家族→友人→近隣→社会等と和が広がり、その中で暮らしています。ひとたび、事故や災害が起これば誰かの手を借りたり、助け合って生きて 行かなければなりません。 ”和をもって尊しとなす”和をもつことは、まちづくりの基本としなければならない事です。和を崩壊させる大きな要因としては”権力と金”だと 考えられます。 何時の世も政治や特定権力と結びついて金銭を含めた道義的問題が多く発生します。 一定のルールをもって、皆でまちづくりを考え、見続けることが大切となります。

   

【工】: 伝統を受け継ぎながらも工夫をする努力を忘れず、競い合いマンネリ化しないこと   <工夫をしてマンネリ化を防ぐ> 後継者が無くなり、祭りや行事が中止になる事をよく耳にします。”しきたり”を大切にし過ぎて、現在の生活習慣や考え方に合わなくなり、若者 の心が離れ、人手不足等の悪循環に陥ってゆくのです。 昔から由緒ある神社やお寺でさえ、歴史による変化があったはずです。基本(筋道)を守りながら、工夫を重ね、世代を越えて、協議することが大 切です。

   

【継】: 祭と共に子供たちを育て、将来の後継者を作ること   <子供は町の宝> 町を愛する子供(後継者)を育てましょう。町に愛着が持てれば、住み続けることができるからです。最近、近隣との付き合いを敬遠する人が多く なってきました。わずらわしさやプライバシーを気にしてか、近所の子供の顔を知らない大人も増えています。昔の子供は悪い事をすれば近所のお じさんやおばさん達によく怒られましたものです。お互いの顔を知っているから注意ができたのでしょう。そこで、”祭り”を通して子供達と出会 う場所を作るようにするのです。小さい頃から大人達と笛・太鼓の練習をしたり、一緒に食事をしたりしてお互いの顔を覚えます。大人達は時に優 しく、時に厳しく、連携を図りながら子供達を守り、後継者として育てます。子供達は練習を通して心の情緒を形成して行きます。本来、祭りとは そうゆう役割があったものです。ただし、世代のギャップには注意しましょう。年齢が離れすぎると感覚がまったく合わなくなり、会話が一方通行 になります。20歳以上年齢が離れないよう人選を考え、意思疎通が出来る組織作りが必要となります。

        

以上が”祭とまちづくりの三要素”です。 後世までまで伝えられる祭はこの三要素が盛り込まれているようです。     その他、祭とまちづくりは”シンボル”を作り、特徴や心のより所を持つ事も重要です。 他の地域に負けない個性を出すことも重要な要素であり町のPRも忘れてはならない事です。また、町の雰囲気を作り出すための祭の音色、お土 産、ハレの日の食べ物、祭衣装など、五感を刺激し、町の内外の人たちが楽しめる場が年に1回は作りたいものです。 堀川まつりでの陽のシンボルは”まきわら船”陰のシンボルは御葦(みよし)となっています。      堀川まつりは過去に消えてしまった祭を復活させ、まちづくりを視野に入れて12年間活動してきました。20年程絶えてしまった祭の心が戻る までには、まだ長い時間がかかると思います。 これからも、祭とまちづくりの三要素を忘れず、多くの人達に伝え続けたいと思っています。

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まきわら祝い唄

まきわら祝い唄は、1992年(平成4年)頃にまきわら船の曳き回し記念に作られました。
2001年に上流部の洲崎神社までの祭り船巡航が始まると六、七番が追加され、現在も堀川まつりの中や祝いの席で唄われています。

一、祝い目出度の 若松様よ
  水面に映る まきわらの
  みよし流しの 宮の浜
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二、尾張名古屋の 信長様よ
  さても 見事な 桶狭間
  祝い目出度の 宮もうで
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三、熱田お宮の お清水様よ
  水は清水 みやす姫
  西に見えるは 伊吹山
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四、浜のまきわら 丘の大山
  津島女と 宮男
  鶴も亀も 獅子も舞う
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五、さても見事な 熱田の杜よ
  唄はどどいつ 祝い酒
  枝も栄えりゃ 葉も繁る
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六、名古屋城から 見下ろす金鯱
  堀を潤す 御用水
  かっぱ伝説 尾頭橋
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七、宮の宿から 桑名の宿まで
  保田の沖行く 渡し船
  七里を結ぶ 常夜灯
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