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1. 堀川の誕生   -Reports-

●堀川と城下町名古屋の発展

 堀川は、今から390年前の慶長15年(1610年)徳川家康の命を受けた福島政則が開削工事に着手、翌年に完成して「堀川」と命名したと伝えられています。
寛永6年(1629年)頃には白鳥貯木場が整備されるなど、水運を利用した幹線輸送路として城下町名古屋の発展に堀川が貢献しました。

●花見の名所・堀川のにぎわい

 文化元年(1804年)、御普請奉行の堀弥九郎が日置橋の南北数百メートルの両岸に数百本の桜と桃をを植え、このため堀川は一躍花見の名所となりました。
文化5年(1882年)頃には茶屋・料理屋など20軒あまりが店を構え、季節ともなれば両岸を行き交う花見客の群衆と、川には花見船も出るなど、大変なにぎわいであったと言われています。

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2. 堀川再生   -Cleaning Horikawa-

◇ 名古屋の顔は堀川 ◇ (100号より)

2005年に瀬戸で万博が開かれようとしています。その後中部新空港も計画されています。どちらも名古屋からのアクセスが中心となります。
なのに顔(堀川)が汚れていることと市民の関心(利用率)が薄いことが原因になっています。だからこれを逆手に取って、広い道路を活用し水と緑のネットワークを進めてはどうでしょうか。
平成12年3月ようやく堀川沿いの市民グループが手を結び堀川の協議会「クリーン堀川」が発足しました。堀川の研究、再生への提案、啓発活動も進められています。
何かアイデアを持った方は、事務局の都市センターまでご一報下さい。

◇ 不法係留対策を名古屋港側の堀川活性化の起爆剤に ◇ (100号より)

堀川は地形状と成り立ちの経緯により、名古屋城近くまで名古屋港の港湾区域になっています。このことが、川でありながら海も含めた複雑な行政のタテ割りによって、市民の声が反映されにくいものとなってきています。
堀川の下流部には、ヨットハーバーにできる土地が存在しています。市民と行政が手を結び、ルールを話し合いながら進めればすぐにでも手をつけられます。川は利用しなければ理解と再生はしないものです。タテ割り行政からネットワーク行政にして予算を有効に使いたいものです。

◇ 都市河川は雨水の排水路 ◇ (99号より)

堀川が雨水の排水路となっていることをほとんどの市民は知りません。なぜなら雨の降っている日に堀川を見る人はほとんどいないからです。
全国の大都市でも同じ問題をかかえています。晴天の時は下水処理場で処理した水が川に流されますが、ひとたび少量の雨でも降れば、雨水は下水管に流され、下水処理場からオーバーフローし、川に流れ込みヘドロの元になります。雨の日は家庭の排水・流し方に気をつけましょう。
シャンプー・リンスは天然石鹸に変え、食後の食器は再生100%のトイレットペーパーでぬぐい、燃えるゴミにして下さい。気づいた人から、できるところから環境を考えましょう。

◇ 木曽川・庄内川からの導水 ◇ (99号より)

堀川導水の調査が始まってから約28年が過ぎました。今だに具体的な工事は始まっていません。名古屋の市民は堀川に清流をひくための工事だと勘違いしている人がほとんどです。
実は尾張北部の新しい住宅地からの雨水配管が増え、雨水経路でもある新川・庄内川にバイパス(木曽川導水管)を通し、堀川までつないで流量を調整しながら、1ヶ所に集中させないようにするのがこの事業の目的なのです。
だから名古屋のみなさん!ゴミをなくし、ヘドロを取ってから導水の話をしましょう。自分達の都合だけでは上流・下流の方々の理解を得られません。

◇ 川の利用 ◇ (98号より)

世紀末でしょうか。近年旧東海道を旅する人が増えてきています。七里の渡しにも多くの人が訪れ、桑名までの渡し船の有無をよく聞かれます。
現在七里の渡しからは渡し船も水上バスもなく、屋形船などの観光船があるのみです。先日東京・横浜の河川の見学会に参加しましたが、港湾・河川の利用状況は、名古屋と比較にならないくらい程高い意識がありました。もちろん若者たちに人気の高いクルーズ、川祭りもありました。

◇ 川沿いを楽しむ ◇ (98号より)

最近ウォークブームでしょうか。熱田神宮の廻りを歩く中高年夫婦の姿がとても増えました。歩く人、散歩する人にとって大切なことは季節・風・香りを感じること、そして信号で止まらずに歩く道があることです。堀川沿いは名古屋城と名古屋港を結べば10Kmのジョギング・サイクリングコースとなり、若者も集まることとなります。ただし、橋の下の不法占拠対策は万全にしましょう。

◇ 川の清掃は汚した市民の手で ◇ (97号より)

堀川のゴミで特に目立ったのは、ビニール袋・タバコ・生理用品です。これは市民のマナーの問題です。堀川の場合3mmの雨で下水処理場はオーバーフローします。(5mmの雨は平均で4日の割合で降っている。)雨とともに下水管に入った道路のポイ捨てタバコや生活排水が堀川に流れ込みます。実は皆で堀川を汚しているのです。だから皆で掃除をするべきなのです。しかし困ったことに、上流の黒川を除けば堀川には水に近づける場所がほとんどありません。現在のところ、清掃は船から一部の人達が行っているに過ぎません。

◇ 水辺の自然浄化システムと親水空間 ◇ (97号より)

大人、子どもに限らず魚釣りや川遊びと四季を楽しみたいという願いは共通のものです。水辺の植物は窒素・リンを吸収し、水を浄化します。植物の廻りに水草・藻がつき、プランクトン・昆虫が発生し小魚が集まり、小魚を求めて水鳥がやってきて巣を作ります。そして川は緑化され、魚釣り・川遊びが始まります。川を利用する人が増えれば清掃する活動はもっと広がります。

◇ ヘドロを土に戻そう ◇ (96号より)

堀川は延長16Km余りで護岸整備の完成までに約2000億円の費用がかかると言われています。堀川のヘドロは産業ゴミとして処分する場所もなく運搬にも莫大な費用がかかります。
ヘドロをその場で土に戻してはどうでしょうか?そして水辺に葦が広がり、堀川が再生して行く様子が市民の目に映ることでしょう。

◇ 市民の目を堀川に向ける ◇ (95号より)

「市民に背を向けられた堀川」から「何とかしようという堀川」への取り組み。
(1)四季の花を楽しめる堀川
(2)お祭りやイベントのある堀川
(3)水上バス・散歩道
などの整備などすぐにできることから始めれば少しずつ堀川再生への市民の意識も高まるはずです。

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3. 水質浄化への願い   -Notice about Monthly Cleaning-

●水質の悪化は、大正の終わり頃から

大正の終わり頃になると、上流部に工場が立ち並ぶようになり、加えて人家の密集も始まって堀川への排水が増えてきました。このため、水質も次第に悪化するようになり、昭和10年頃にはBOD(生物化学的酸素要求量)が35ミリグラム/Lまでになっています。

●昭和41年、水質汚濁がピークに

戦中・戦後は、再び水質が良くなりましたが、復興・経済の発展が始まるとともに悪化の一途をたどり、昭和25年頃には戦前の昭和10年頃と変わらない程度にまで水質汚濁が進んだのです。この後も水質汚濁は改善されることなく、ついには川底から硫化水素などの悪臭が立ち上るようになりました。そして、昭和41年にはBOD54.8ミリグラム/L(巾下橋の下流、小塩橋の年間平均値)を記録するなど、水質汚濁がピークに達しました。

●水質浄化対策に立ち上がる

こうした堀川に対して、昭和40~57年度にかけて猿投橋から河口までの間の浚渫(しゅんせつ)が行われ、この結果約30万立米のヘドロが取り除かれています。また、水質悪化の大きな要因として、工場や家庭からの排水がそのまま堀川に流れ込むことが指摘されていました。昭和39年から下水道整備が始まり、昭和48年に名城処理場が拡張完成することによって堀川の浄化が急速に進みました。

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4. 堀川に関するデータあれこれ   -Notice about Monthly Cleaning-

  • 1. 堀川総延長 16.2Km
  • 2. 堀川のヘドロ撤去及び護岸工事の総工事費:2300億円。
    1m当たり1420万円、100m当たり14億2000万円
  • 3. 大正時代までの堀川は清流で、さまざまな催し物や多くの祭が川を中心に行われていた。
  • 4. 堀川のヘドロ除去率は約33%。100%になる予定は2010年頃か…
  • 5. 雨が流れ込む堀川流域は約50平方km
  • 6. 5mm/時の雨は平均して4日に1日振る雨の量と同じ程度
  • 7. 3mm/時を越える雨が降ると、下水処理場はオーバーフローし、堀川に汚水が流れ込む。
  • 8. 試験導水3t/秒の流量は堀川流域の3平方kmに5mm/時の雨が降った時と同量
  • 9. 満潮時の海水の逆流量は10~15t/秒程度
  • 10. 堀川・黒川に生息する生物
    イズミダイ・ボラの稚魚、ハゼ、コイ、フナ、ウナギ,ナマズ、ミドリガメ、カダヤシ(タップミノ)、
    シラハエテナガエビ、カニ、カモ、白サギなど

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5. 堀川通水   -Clean Horikawa-

<建設省庄内川工事事務所>堀川試験通水より

◆堀川試験通水◆

平成11年9月2日から3日の2日間、中部地方建設局、愛知県、名古屋市が堀川の水質改善効果を現地で確認するために、庄内川からの試験通水を行いました。
9月2日午前9時30分頃に守山区にある庄内用水頭首工を操作し、通水を開始。毎秒0.5~3.0立方メ-トル/S程度の水が24年ぶりに堀川に流れ込みました。

◆堀川通水の歴史◆

●江戸時代、庄内川の水が堀川に
堀川が開削されてから53年後の寛文3年(1663年)、守山区竜泉寺下の庄内川から名古屋城のお堀まで通じる「御用水路」が完成しました。
この結果、庄内川の水がお堀から竜の口(現・大幸橋)を経て堀川に流れるようになりました。
さらに、御用水路完成から120年あまり後の天明4年(1784年)、東区大幸町から江川に流れていた大幸川の流れを変えて、巾下で堀川につなぐ工事が行われています。
●明治時代、「黒川」が完成
江戸から明治へと時代が変わった明治10年(1877年)、現在の守山区水分橋で取った庄内川の水を、矢田川の下を伏越して堀川に流れ込む、新しい川が造られました。川は、担当した技師の名前を取って「黒川」と名付けられました。
●昭和の試験通水
この頃、木曽川導水によって堀川を浄化しようという計画が本格化し、昭和12年に木曽川から水を導水する試験が1週間にわたって行われています
。翌々年の昭和14年には、同様の試験を1ヶ月間実施、以後昭和16年まで5回の実験が行われています。
昭和38年には、今度は庄内川からの試験通水が行われました。この試験は、昭和50年まで続けられました。

◇試験通水実施の経緯◇

●市民の願いと、関係機関の目的が合致
「堀川を昔の清流に」という願いは強く、平成11年4月には名古屋市内29のライオンズクラブと市民団体等が協力して「10万人署名運動」が始まりました。
この運動は予想以上の広がりを見せて、わずか1ヶ月の間に当初の目標を大きく超える20万人近くの署名が集まりました。
一方、中部地方建設局をはじめとする関係機関でも、堀川の水質改善には深い関心を持っていて、早くから通水による効果予測などに取り組んでいました実際の通水によってどのような変化や問題点が発生するのかなど、試験通水への期待が高まっていたのです
。このような経緯から、平成11年9月2日~3日の2日間庭たる庄内川からの試験通水が決定しました。
●庄内川の水が堀川へ
平成11年9月2日午前9時30分、試験通水が始まりました。
昭和50年の試験通水以来、実に24年ぶりに庄内川の水が、再び堀川に流れ込んだのです。
通水量は毎秒0.5~3立米/S、これによって流れの状況の変化を現地で確認し、堀川浄化の促進に役立てようというのが今回の大きな目的でした。
調査内容は、堀川沿いの水質(水温、BOD、DO、導電率等)・水位・流量の測定などで、観測点は北清水橋、納屋橋、白鳥橋、港新橋などで行われました。こうした測定の他に、現地観察会や市民参加によるモニタリング調査も行われました。
なお、今回の調査結果は、有識者による「堀川試験通水検討会」でとりまとめられています。

◇試験通水時の河川状況◇

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6. クリーン堀川   -Clean Horikawa-

 名古屋市中心部を縦断する「堀川」の浄化・美化を推進する沿岸各地域の市民団体Sの相互連携を強化し、一体的な活動を展開していくネットワーク型の連合組織を平成12年3月4日に発足します。
 これまでの活動実績は、庄内川からの導水を訴えた20万人署名運動。6月・堀川まつり。9月・堀川一斉大掃除及びシンポジウム「堀川と市民とまちづくり」の開催。11月・堀川都心沿岸地域への一万本のチューリップ植栽等で、これら数々の連携活動により市民の堀川への啓発を喚起しました。

◇全名古屋ライオンズクラブ◇

名古屋地区にあるライオンズクラブ29団体で構成されていて、この全名古屋ライオンズクラブが平成11年4月に始めた「堀川を清流に!」の署名運動が、当初目標の2倍にあたる20万人署名を実施し、これ以降、試験通水が真剣に検討されるようになりました。現在も堀川に関係する団体と積極的に連携を組む一方で、「堀川浄化等基金」を設ける計画など、幅広い活動を行っています。 堀川の清掃活動 街頭での署名活動

◇黒川ドリーム会◇

北区で発足した3つの団体の内の「川を考える会」を母体として、平成10年3月に黒川ドリーム会が誕生しました。「よい子はここ“黒川”へ遊びにおいでよ」をスローガンに、クリーンリバー大作戦や、50年ぶりに黒川にホタルをよみがえらせたり、平成11年の桜まつりでは川下りや友禅流しを企画するなど、精力的に活動しています。 ボートでの堀川(黒川)川下り 堀川(黒川)清掃活動

◇堀川とまちづくりを考える会◇

「堀川について広く市民参加できる会」の趣旨に基づいて、平成10年6月に発足。名古屋市内の各区並びに、三河を初めとする県内の方など、会員はバラエティに富んでいます。区民まつりや地元円頓寺商店街の七夕まつりなどにも参加して、堀川をPRするために熱心な活動を続けています。 区民祭りでの堀川PR活動 円頓寺七夕まつりでの堀川PR活動

◇あつたっ子◇

熱田の魅力、歴史を伝えるなどを目的として昭和60年9月にミニコミ紙「あつたっ子」を発刊。翌年には「熱田・堀川シンポジウム」を開催、平成2年に「堀川まつり(熱田天王祭)」を復活させて、毎年の行事とするなど、堀川と深く関わった企画・イベントを行っています。

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7. 堀川水質調査   -Clean Horikawa-

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8. 堀川端緑化実験と調査報告   -Reports-

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